【稚内エリア②】ゴールデンカムイスタンプラリー
開基百年記念塔から稚内駅への途中、稚内港北防波堤ドームをチラ見して駅へ急ぐ。
北海道遺産である稚内港北防波堤ドームの場所からは、かつて稚内から樺太への定期連絡船が出ていました。終戦前後、ソ連軍が北緯50度の国境を超え南樺太へ侵攻、その際引き上げてきた日本人でこの場所はいっぱいになったそうです。
日本最北端の線路は稚内港の方へ向いている。
駅から歩くこと15分ほど、副港市場に到着。
これまた後から気付くのですが、こちらおそらく裏側で表の入り口は国道40号沿いにあります。そういうところだぞ!
副港市場、2020年9月で閉店が決まっているようで、稚内市が保有する樺太記念館については検討中とのこと。ここが閉館となると開基百年記念塔も冬期休業となるため稚内エリアがかなり厳しい状況になるのか?(休業中は入口の外にチェックインポスターがあると思いますが…)。
まだ営業しているお店もある(2020年8月末現在)。
温泉棟2階にある樺太記念館。入館は無料。
おなじみのパネル。
展示は多くはないですが、奥の部屋に映像を見れるエリアがありそちらで多くの情報を得ることができます。印象に残った映像は下記の2つです。
樺太出身の横綱大鵬は終戦直後に樺太から引き揚げ小樽方面へ向かっていましたが、母親の船酔いが酷く稚内で下船、その後乗っていた船(小笠原丸)が国籍不明の(後にソ連と判明)潜水艦に撃ち落とされ留萌沖で沈没(三船殉難事件)、稚内で降り生き延びたことから大鵬は稚内に特別な想いがあったようです。
樺太の港、真岡(現ホルムスク)では終戦直後、ソビエト軍の侵攻状況を電話で伝え続けた九人の若い女性の電話交換手達が自ら命を絶ちました(真岡郵便電信局事件)。稚内公園には「皆さん これが最後です さようなら さようなら」という最後の言葉が彫られた九人の乙女の碑があります。
どちらの話も終戦直後、国境付近、日本の中心からは遠い場所で起こってしまった悲劇。教科書で語られることは少ないですが決して忘れてはいけないことだと思いました。
ゴールデンカムイ15巻第148話に出てくる養狐場のシトュンペカムイ(黒狐)かな。
日露国境標石 天第1号 日本側。
パネル右上に説明がありますが(見えづらいですが…)かつて樺太ではパルプ産業が盛んだったそうです。国内の新聞の多くはここのパルプから作られていたそうな。
副港市場を後にし稚内駅へ戻る。
ロシア語標記がある。さすが国境の街。
駅前のスーパー。ここでお惣菜を買うのもありかも。
道の駅ではこんなお土産も。迷って迷って結局買わなかった。買えばよかった…
そういえば稚内ではこれでもかって言うくらいセイコーマートというコンビニしか見かけなかったのですが、どうやらローソンやセブンは全くないそうです(ファミマは道北全体にない)。セイコーマート最強。
日の入の時間近くにノシャップ岬へ。駅前からバスに乗り20分ほど。片道220円。
そこからさらに10分ほど歩きます。
近くにはノシャップ寒流水族館や稚内市青少年科学館、飲食店もあり。この時間は全て閉まっていました。
うーん、天気がもう少し良ければなぁ。
すぐにバスに乗り駅へ。
途中何度かエゾシカが散歩しているのを見かけました。バスもシカの横断を待っていた。
北海道、特に海側は魚介がメインのお店が多いのですが筆者は魚介が食べれず。調べても魚のお店しか出てこなかったので、道の駅の店員さんに聞いてみたところ、稚内ブランドである宗谷黒牛を出してくれるお店を教えてくれました。店員さん、ありがとう!
副港市場手前にある「うろこ市」。
宗谷黒牛を使用したハンバーグ定食。ヒンナヒンナ!
本日の滞在先は「天北の湯 ドーミーイン稚内」。最上階にある温泉が良き。
写真は公式HPより。
8月なのに夜は暖房つけました。
明日は日本最北端の地、宗谷岬へ!
【稚内エリア③】へ続く。